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IPOに関するQ&A
Vol.
27
狐塚利光
IPO準備会社におけるソフトウェア開発体制に係る管理体制構築の実務的考察
─資産計上の会計論点とアジャイル開発における管理体制の構築─
あかり監査法人
統括代表社員
狐塚利光

1.はじめに

 近年、SaaSを代表とする業務システムやサービス提供を行う企業は非常に多くなり、これらの企業がIPOを志向するケースも多くなっています。こうした企業においては、ソフトウェア開発投資の適切な会計処理とそれを支える内部管理体制の構築は、上場審査の観点から極めて重要です。
本稿では、ソフトウェア開発に関わる管理体制構築について、会計基準における資産計上の要件と、近年増加しているアジャイル開発手法の特徴を踏まえ、IPO審査に対応可能な管理体制のあり方を実務的な視点から整理・考察します。

2.ソフトウェア開発と会計処理の基礎理解

 企業が自社利用目的でソフトウェアを開発する際には、「研究開発費及びソフトウェアの会計処理に関する実務指針」を中心としたソフトウェア開発に関する会計基準に基づき会計処理を行います。そこでのポイントは、当該開発が研究開発(収益獲得や費用削減に対する不確実性が相当程度ある)段階の場合には研究開発費として費用計上、当該開発により収益獲得や費用削減が合理的に見込める場合には資産計上されることにあります。

 ● 資産計上(無形固定資産として計上)

 将来の収益獲得または費用削減効果が見込まれる場合には、
 開発に係る制作費を無形固定資産として資産計上

 ● 費用処理(発生時に費用として計上)

 開発成果が不確実である段階においては、発生時に費用処理することが原則

 資産計上の判断は、「研究段階」から「開発段階」への移行時点を基礎とし、採算性の評価や技術的な実現可能性の有無といった観点で判断することになります。

3.ソフトウェア開発手法の概要:ウォーターフォール型開発とアジャイル型開発

 ソフトウェア開発手法には、主に「ウォーターフォール型開発」と「アジャイル型開発」の二つの手法があります。各手法の特徴としては、一般に以下が指摘されています。

<開発手法の比較>
比較項目ウォーターフォール型開発アジャイル型開発
開発の進め方各工程(要件定義→設計→実装→テスト→運用)を順次進行短期間の開発サイクル(スプリント)を反復
柔軟性低い(後工程での仕様変更が困難)高い(頻繁な仕様変更に柔軟に対応可能)
プロジェクト計画の見通し明確(スケジュール管理が容易)やや不明確(短期的な見通しが中心)
管理の容易さ比較的管理し易い(各工程ごとに管理・承認が容易)やや困難(計画が頻繁に変更されるため)
資産計上判断の容易さ容易(段階ごとの文書化により判断可能)困難(段階的かつ反復的な開発プロセスのため)

<ウォーターフォール型開発の特徴>

 ウォーターフォール型開発は、要件定義・設計・実装・テスト・運用の工程が明確に分離されており、順次進行するため進捗管理が容易で、資産計上の判断も比較的行いやすいと言えます。一方で、開発における柔軟性の低さが課題として挙げられます。
ソフトウェア開発に関する会計基準は、基本的にはこのウォーターフォール型の開発環境を前提に構築された基準となっていると考えられます。

<アジャイル型開発の特徴>

 アジャイル型開発は、仕様変更が頻繁に発生することを前提としており、小単位(スプリント)での機能実装とユーザーのフィードバックを繰り返しながら柔軟に開発を進める開発手法です。急激な市場やユーザーニーズの変化への対応がしやすい反面、プロジェクト全体の計画が立てにくく、資産計上の判断や内部管理が難しいという課題があります。

4.IPO審査におけるソフトウェア開発に係る管理体制構築の考え方

 IPO審査においては、会計処理の正確性と同様に、内部管理体制の整備運用状況が厳しく評価されます。特にソフトウェア開発費の資産計上は恣意性を伴いやすい領域であるため、「管理体制が十分に構築出来ていないので費用処理すれば良い」という姿勢では不十分であり、開発手法の如何に関わらず「資産計上の要否を判断できる管理体制が構築されていない」ことが内部統制の脆弱性とみなされ、上場審査において重大なマイナス評価となる可能性があります。そのため、資産計上の判断ができる体制構築は必須となります。次節以降では、ソフトウェアの開発手法に適した具体的な管理体制の構築方法を考察します。

5. ウォーターフォール型開発における管理体制の構築

 ウォーターフォール型開発は工程が明確に分離されており、資産計上判断に必要な情報の取得と管理体制の構築が比較的容易と言えます。具体的には、要件定義、設計書、開発計画書、テスト仕様書などの文書によって、開発段階への移行時点、作業内容、採算性の評価などを明確に記録・承認することが可能です。開発者の工数管理、進捗承認フロー、経理部門との連携体制も整備しやすく、資産計上の判断根拠とすることができます。一般には、製品の開発プロセスの中で最初に製品化された製品マスターの完成(つまり研究的要素(開発に係る不確実性)が無くなり、採算性についても合理的に見込める製品プロトタイプの完成)時点を見極め、それまでのコストは研究開発費として費用処理、それ以降の開発コストは資産計上といった判断が可能となります。

【ソフトウェア資産計上に係る判断プロセスの概要】

  • 研究段階 → 要件定義・試行錯誤段階 → 費用処理
  • 開発段階 → 設計・開発テスト段階 → 資産計上

6. アジャイル型開発に即した管理体制整備のポイント

 アジャイル型開発は、短いスプリント単位で開発の試行錯誤を繰り返すことが前提であり、ウォーターフォール型開発に比べると、資産計上判断の基礎となる「開発段階への移行」や「将来の採算性の評価」が曖昧になりやすく、会計基準との親和性がウォーターフォール型開発と比較して高くありません。つまり、そもそも会計基準が前提とする「研究段階から開発段階への明確な移行と将来の収益性の合理的見積り」という考え方と、アジャイル開発の実務が構造的にかみ合わない部分が存在するといえます。
 こうした特徴から、IPO審査や監査法人の評価において、「判断根拠が不明瞭」「証憑が整備されていない」「採算性評価の客観性が乏しい」などの指摘を受けやすくなっています。
アジャイル型開発においては、そもそもその開発手法が短いスプリント単位で試行錯誤を繰り返すことが前提であり一つ一つの開発に採算性の評価は行わないのが一般であることから、「会計的な資産計上の判断が難しい=すべて費用処理で良い」という考え方もあるかもしれません。しかしながら、IPO実務においては、こうした短絡的な判断ではなく、アジャイル型に適した形での管理体制の整備を行うことが望ましいものと考えます。具体的には、以下のポイントに留意した実務的な仕組みの構築が必要と考えます。

(1)アジャイル型開発方針の明文化

 まず、企業がアジャイル型開発を開発方針として採用している旨を、社内でオーソライズされた文書(例えば外部へのディスクロージャー資料等)や内部規程などで明示します。その中では特に「なぜアジャイル型の開発手法を採用するのか」「どのように開発成果を評価するか」の方針を明確に記載することが重要と考えます。

(2)開発証憑(開発ログ・スプリントレビュー)の記録保持

 資産計上判断に必要な証憑として、開発ログ、スプリントレビューの議事録などを体系的に記録・管理します。これらの証憑は、監査法人や主幹事証券会社等から提示を求められた場合に、資産計上根拠として即時に提示可能な状態にすることが重要です。

(3)成果物ごとの資産計上判断基準の明確化

 アジャイル開発のスプリントで生まれる成果物に対しても、機能単位で具体的な資産計上判断基準を整備することが考えられます。例えば、各スプリント終了時に、機能の貢献度、将来の利用見込み、開発コスト回収可能性などの客観的評価基準を策定し、明文化した上で、記録・承認フローを整備します。

(4)経理部門との緊密な連携体制の整備

 開発部門と経理部門が定期的に協議する場を設け、スプリント単位で資産計上判断の協議を実施します。開発状況や成果物評価に関する情報を迅速かつ正確に共有し、経理部門が会計基準に沿った判断をリアルタイムで行えるような体制を構築します。また、それらの検討過程を例えば会議体の議事録として記録を残す仕組みを導入することが推奨されます。

(5)外部審査機関への説明能力の向上

 IPO審査や監査法人からの質問に備えて、上記で整備した証憑や判断基準を適時に開示できる状態にするとともに、社内で説明資料を整備することが必要です。特に、審査で指摘されやすい「なぜ費用処理ではなく資産計上を選択したか」「その判断の客観的根拠は何か」といった点について、簡潔かつ具体的に説明できるよう準備を整える必要があります。

【アジャイル開発に即した資産計上判断フロー(例)】

スプリント開始 → 開発部門(機能実装・開発ログ管理)→ 経理部門との協議(成果物の採算性評価)→ 経営層の承認 → 資産計上または費用処理の決定

7.J-SOXを見据えた検討が必要

 IPO後の内部統制報告制度(J-SOX)の観点からは、資産計上判断を含む業務プロセスを継続的に統制評価可能な状態に整備する必要があります。
近年は、開発プロセスだけでなく、成果物の品質・技術的水準も統制評価の対象となりつつあります。たとえば、リリースされたソフトウェアの保守性・再利用性・セキュリティ性などが、資産としての妥当性を裏付ける要素となり得ます。IT統制の観点から、開発物のバージョン管理、レビュー体制、コード管理ルールの整備等も、J-SOXとの連動項目として捉えられてきており、開発体制全般に係るガバナンス体制の確立が求められる局面が増えています。スプリント成果物の記録、会計判断のトレーサビリティ、経営層のレビュー記録等を整備することで、J-SOX評価にも耐えうる体制が構築可能となります。

8.おわりに

 IPO実務においては、会計処理の妥当性だけでなく、それを支える管理体制の構築度合いが問われます。特にソフトウェア開発の領域では、技術革新と開発手法の変化に応じた統制の再設計が必要であり、アジャイル型開発のような新しい開発手法にも柔軟に対応できる管理体制の構築が求められます。
 IPO志向企業には、財務数値とそれを裏付けるガバナンス体制を一体的に整備していく視点が求められていると言えそうです。

狐塚利光
狐塚利光
山梨県出身。学習院大学経済学部卒業。
元優成監査法人代表社員札幌事務所長。約20年間にわたり、不動産業、IT企業、メーカー、飲食業など、幅広く上場会社の監査やIPO監査・コンサルティング業務に携わる。また、各種セミナーでの講師や著書も数多く手掛けている。2017年10月に有志メンバーと「あかり監査法人」を設立し、統括代表社員に就任する。

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