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IPOの審査においてコンプライアンスの遵守状況が審査されますが、その中でも労務管理に関するコンプライアンス状況は、IPO審査における大きなテーマです。労務管理の審査で問題点が指摘され、上場が延期されるといった例は数多くあります。したがってIPOに際しては相当慎重に労務管理の状況について整備運用を行う必要がありますが、労務管理については留意すべき点が多岐に及ぶことから、IPO準備においての悩ましい論点の一つです。
ところで、労務管理についてのIPOの審査には、実はトレンドがあります。すなわち、社会的に問題となったり注目された事項については、厳しい目が向けられるという傾向です。
具体的には、以下のような論点が、その時々において注目されていました。今後においては、働き方改革や同一労働同一賃金への対応といった論点も出てくるのかもしれません。
時期 | 論点 |
2005年頃 | 未払賃金問題、社会保険加入問題 |
2008年頃 | 名ばかり管理職問題、偽装請負問題 |
2015年頃〜最近 | 長時間労働問題、メンタルヘンルス問題、ハラスメント問題 |
今後 | 働き方改革、同一労働同一賃金 |
日本取引所グループの自主規制法人が定める「上場審査等に関するガイドライン」の中に「企業のコーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性」という項目があり、その中の具体的な5項目の一つに労務管理があります。これはすなわち、コーポレート・ガバナンスの確立において労務管理が重要なエッセンスであることを公にアナウンスしているものといえます。
また主幹事証券会社や証券取引所の審査においても、とりわけコンプライアンス(法令遵守)の状況が厳しく審査されますが、労務管理体制が確立されていない企業は、IPOを検討する入り口の段階でIPOに不適格という烙印を押されてしまうというくらい、労務管理体制は基本的かつ重要なエッセンスとなっています。
労務管理体制がここまで重要視されるのは、以下のようなクリティカルな理由となるためです。
しかしながら、これだけ重要なテーマであるにもかかわらず、成長企業の経営者の中で多くの方が労務管理に関するコンプライアンスを軽視している傾向があることも残念ながら事実です。このような経営者の方々が口にされるのは「当社の従業員は私の指示に納得してサービス残業・休日出勤をしており、労務訴訟にはならない」「労働基準法が会社経営の実態を全然考えておらず、各条文がそもそもおかしい」といった意見です。
創業時から成長ステージまで叩き上げで尽力された経営者においては、昼夜を問わず寝食を惜しんで会社の就業定時時間を気にすることなく邁進し、また創業期の賛同者もこれに倣って尽力されてきたという背景もあって、IPOを検討する以前では労務関連法規をケアしてこなかったという傾向が見受けられ、そのため上記のような意見が出てくることになるものと推察されます。
会社創業時から役員も従業員もなく一体となって汗水を流してきたことからの延長線上で考えると違和感を感じることも心情的には理解できますが、一方で労働基準法という法律が存在する以上は、採用した従業員に対して勤務時間や給与支払などにおいてこれを遵守しなければなりません。
確かに現状の労働基準法は労働者保護に過度に偏った点も指摘されており、労使関係の実態にそぐわないと感じる点もあるかもしれませんが、さりとて「悪法もまた法律なり」ですので、しっかりと向き合わなくてはなりません。
IPO準備における労務管理の押さえるべきポイントは、以下の2点に集約されます。
これは従業員の適切な時間管理を行っているかどうかに関わります。従業員のタイムカードなど勤怠管理システムにおいて就業時間を記録し、超過勤務時間に対して残業代を支払うという基本的な仕組みについては論じるまでもありませんが、過去の事例では、定時時間の終わり、または深夜残業時間帯に入る直前など、時間外勤務手当を支払わなければならないタイミングの直前で従業員に勤怠管理システムに退勤の打刻をさせて、打刻後も勤務を継続させているというケースが見受けられました。
こうした行為は企業側の違法行為となり、従業員に対しては従事した時間に対応する残業代他人件費を支払わなければなりません。もし仮に企業側が従業員にこのような打刻を強いているのであれば、従業員から労務訴訟を起こされた場合には企業側の敗訴となる可能性が高く、従業員に対して未払となっている労働債務を支払わなければならなくなります。
なお、昨今の労働基準監督署の調査においては、勤怠管理システムの記録と残業代の相関関係をチェックされるだけではなく、以下のように、労働実態に照らした時間管理データの信頼性までを確認するといった手法が取られています。
IPO審査の直前で労働基準監督署の調査が入り、指摘事項が生じてIPOが延期となるといった事例も数多く生じているところですので、上記のような実態との整合性までを留意した管理体制を構築する必要があります。
常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則を作成し、労働者の代表者の意見書とともに所轄の労働基準監督署に届け出なければなりません。また作成時だけではなく、就業規則を自主的または行政の命令により変更する場合にも同様の手続きが必要となります。(労働基準法89条、90条) 上記にもかかわらずIPO検討段階において就業規則そのものが作成されていないというケースや、労働実態が就業規則と乖離しているにもかかわらず見直し・改定が行われていないというケースも見受けられます。このようなケースでは、例え収益性・事業の成長性が高い企業であっても、これらが整備されるまではIPOの審査対象期間にすら入ることが出来ないということも考えられます。
従業員に時間外勤務または休日出勤をさせる場合には、就業規則の中への明記とともに従業員の代表者との合意を明文化して労使協定を締結し、所轄の労働基準監督署に提出しなければならないこととなっており、この根拠が労働基準法36条に定められていることから、通称・三六協定と呼ばれています。 企業においてはまずそもそも従業員の残業・休日出勤を命令する場合は、この三六協定が締結されていなければ違法となり、また三六協定における時間の制限を超えて超過勤務をさせている場合も同じく違法となります。 IPO審査においては適切な労働時間の管理とともにこれらが三六協定の範囲であるかについても厳しく審査されます。また残業時間の管理においては以下の3点も押さえておかなければなりません。
一般的に部長、課長といった管理職は、経営者側の視点に立った現場マネジメントが求められることから時間外勤務手当の対象外とするケースが殆どですが、2008年の日本マクドナルドの店長が訴訟を提起し勝訴した事件を契機に、本来管理職としての人事権、裁量権、相応の給与が与えられていないにもかかわらず、時間外勤務手当の対象外となっている従業員がいないかについて、相当の留意が必要です。
労働基準法の改正法が施行され、時間外勤務時間は上限が上記のように定められました。これに違反する場合には企業側に罰則が設けられており、知らなかったでは済まされないこととなります。総務の実務においては、勤怠管理システムにおいて例えば月の残業時間が35時間あるいは40時間を超えた段階で該当従業員にアラームを発信するといった仕組みを構築することにより、労働基準法違反を回避するといったことが考えられます。
時間外勤務時間の集計において、毎日の残業実績を1時間または0.5時間単位で集計している企業が見受けられますが、実はこれも労働基準法違反であり、原則は時間外勤務時間は1分単位で集計し、その計算期間において分単位での時間外勤務手当を支払わなければなりません。
一方で、厚生労働省の通達で「1ヵ月における時間外労働等の時間数の合計に1時間未満の端数がある場合に、30分未満の端数を切り捨て、それ以上を1時間に切り上げる方法については労働基準法違反として取り扱わない」というものがありますが、これは日々の残業時間については1分単位で計算することを前提とし、そのようにして集計した1ヵ月の残業時間の合計に端数がある場合に端数処理を認めているものです。
これを毎日の残業時間の30分未満を切り捨ててよいと曲解している企業が散見されますが、毎日の残業時間の30分未満切り捨ては労働基準法違反となることに注意が必要です。
上記に記載したとおり、労働基準法では細かい留意点が多岐にわたり、自社の労務実態に照らして労働基準法違反の状況が発生していないかを自社内で検証していくことは大変な労力を伴います。
昨今においては、労務管理面でのコンプライアンス状況を総括的にレビューして問題点を洗い出し、レポーティングを行うといったサービスを提供する社労士事務所やコンサルティング会社もあるようですので、このような外部サービスを利用するのも一考かと考えます。